忍者ブログ

色破Ⅱ乃ヘト

主に時事ニュースに関しての感想。その他趣味など

伊達政宗 小田原征伐で秀吉との逸話に裏付け無し
戦国武将の伊達政宗(1567年~1636年)が小田原征伐中の豊臣秀吉に謁見する際、死に装束だったという有名なエピソードは、実は確固たる裏付け史料が無いことが富山市博物館の萩原大輔 主査学芸員の調査で分かった。

3月に出版した著書「異聞 本能寺の変」の中で発表した。

秀吉から幾度も小田原攻めへの参戦を求められていた政宗は、1590年にようやく意を決して小田原に赴く。遅参したことで死を覚悟した政宗は、死に装束で秀吉との謁見に臨んだという。




これは僕も知っています。北条家が籠城する小田原城を秀吉が全国からかき集めた連合軍で完全包囲した時の逸話で、政宗は秀吉が包囲を解けないこの時を狙って東北一帯を制圧しようと動いていた。しかし最後には秀吉から最終勧告(次の標的になる)を受け、仕方なく参陣することを決心した。

参陣する際に政宗は、遅れたことに対する本意を表すため(死ぬ覚悟)で死に装束で参陣することに決めたのだと。死に装束で参陣した際、秀吉は、意に反して喜んで迎え入れたという。政宗好きには有名な話で、これが裏付けの無い逸話だったなど政宗ファンは受け入れがたいでしょう(笑)

どこからこんな逸話が出てきたのだと言われると思うが、過去に歴史好きな人物が話を創作していたなんて古今東西よく聞く話で、この逸話も、政宗好きの人物が話を盛り上げるため付け加えたものだったのかもしれません。

PR

コメント

コメントを書く

本サイトQRコード」